広島大学医学部地域医療システム学講座

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中村伸一先生講演会

第4回総合診療・地域医療懇話会

日 時 12月11日(日)14時~17時
場 所 シェラトンホテル広島(広島駅新幹線口隣接)3F「美波」
参加費 無 料
共 催 広島県、広島県地域保健医療推進機構、
広島大学病院総合内科・総合診療科、広島大学医学部地域医療システム学
問い合わせ先 082-257-5894(広島大学医学部地域医療システム学)
講演内容
プロフィール

平成3年、卒後3年目の春に、はじめて名田庄診療所に赴任しました。当初、外科医を目指していた私は、大病院にいる同期の医師から遅れをとることを焦り、自分一人で何もかも診察しなければならないへき地診療所での仕事に不安を感じていました。足が不自由で片足を引きずりながら「リハビリだよ」と言い、診療所へ1時間以上かけて通ってくれた高齢の男性。自分の処方で治らなかった難治性湿疹を皮膚科に通い治った後で受診して「先生、今度からこの薬を出すといいよ」と教えてくれた初老の女性。自分のような若造を医師として頼りにしてくれたり、医師として育ててくれたりする村の人を診ているうちに、自分自身の気持ちに変化が現れました。「外科医になるには、ここにいては遅れをとってしまう」という考えに支配されていたのが、「この人たちのために医師として何ができるのか」と考えるようになり、そのうちに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。

「小さな診療所ではできないこと」はたくさんありますが、それを言い訳にせず、「小さな診療所だからこそできること」を探していきました。そうしているうちに、当地域は「家で最期を迎えたい」と望む高齢者がほとんどで、家族もそれを支えたいと思っていることに気づきました。

平成3年10月、その思いに応えようと、診療所、役場住民福祉課、社会福祉協議会の全職員からなる「健康と福祉を考える会」を結成して保健・医療・福祉の連携を進め、ボランティアを中心とした住民も巻き込んでいきました。デイサービスの開始、訪問看護を中心とした多職種による訪問調整、事例検討会、健康祭や在宅ケア講座の開催等、つぎつぎと事業を展開していくうちに、職員もボランティアもいっしょに活動する「場」がほしいと考えるようになりました。

平成8年、保健医療福祉の総合施設を建設するための「福祉の森検討委員会」を立ち上げ、村長の後押しで基本構想、基本設計の段階から、職員も住民も関わりました。平成11年、国保診療所と国保総合保健施設が一体化した「あっとほ~むいきいき館」が完成し、ソフト・ハードともに地域を支える基盤ができました。同時に、医師2名体制とし、私は診療所長と保健福祉課長を兼任することで、保健医療福祉の統合ができました。

平成12年度からの介護保険制度の開始の前後では、課長として住民対象の説明会を何度も開き、議会対応も前面に立つことで、スムーズに導入することができました。そうこうするうちに、私たちの活動が数値として、現れるようになりました。私が赴任してから町村合併するまでの15年間(平成3~17年度)における名田庄村の在宅死亡率は約42%でした。また、名田庄村の国保医療費地域差指数や老人医療費、第1号介護保険料を福井県内で最も低いランクに抑えることができました。

平成15年度からの3年間、現在の特定保健指導の元となった厚労省の国保ヘルスアップモデル事業に取り組みました。様々な健康づくり事業を展開しましたが、その中でも携帯電話を用いた「IT介入」は国からも注目され、平成19年度の厚生労働白書に掲載されました。また、当地域の高齢者には、田畑でよく働き、近所同士が助け合って、自給自足をよしとする地域特有の伝統的な「生活習慣力」があり、これが健康につながっている可能性が示唆されました。

平成17年度から、前年度に開始された新医師臨床研修制度による地域保健・医療研修の研修医を4週間コースで受け入れるようになりました。研修医と私は毎日メールのやり取りをし、このやりとりは臨床研修指定病院の研修担当医にも送っています。概ね評判がよかったのか、初年度の研修医は3名でしたが、平成21年度は11人が集まり、ほぼ年間を通じて研修医がいるようになりました。

ただし、いいことばかりではありません。

一度、非典型的な症状を呈したクモ膜下出血を見逃してしまいました。クモ膜下出血の典型例は突然起きる激しい頭痛ですが、この方は肩の痛みを訴えていたので、判断しにくかったのです。しかし、結果的にクモ膜下出血を見抜けなかったことは間違いありません。このときは医者をやめるか、そうでなくてもこの土地を去らなければならないと思いつめていました。手術後、幸い後遺症もなく回復しましたが、まだどうなるかわからない救急搬送直後の時点で、患者の親戚の方から「一所懸命やっていてもうまくいかないことはだれにでもある。先生、お互い様だよ」と言われたことは一生忘れられない言葉となりました。

また、平成15年、私は「特発性頭蓋内圧低下症による慢性硬膜下血腫」を患い、約2ヶ月間、仕事を休みました。このことを知った住民は、だれが言い出したわけでもなく、コンビニ受診を控えるようになりました。平成14年度に1098件あった時間外・休日診療は、平成15年度以降は120件前後に激減しています。いわゆる「共有地の悲劇」を住民は自然に回避していることになります。

若い頃は、自分が地域を支えているつもりでした。誤診を許され、コンビニ受診も控えてもらいました。実は、地域に育てられ地域に支えられてきたのは私自身でした。ここ2~3年、「医療崩壊」という言葉が、マスコミで頻繁にみかけるようになりました。その根底には、患者側と医療者側の相互不信があると思うのです。相互不信という大きな溝のこちらとあちらで、互いが勝手な言い分を言い合っていては、その溝は埋まりません。患者も医療者も「お互い様」の心を持った相互信頼のもとに、医療という限られた公共財を守り、支えあうことが大切ではないでしょうか。

 

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